働くことについて考えてみた
どうして働きたくないのだろう
「働きたくない」そんなことをふとした瞬間に思うことがある。
それは大体、その日の予定が怠かったり、体調が優れていなかったり、将来のことを考えて憂鬱になったり、休日の息抜きが終わってしまったり、そんな何気ない瞬間に訪れる。そしてこういうことは一度考えだすと流れるプールのように脳内を廻り続けて終わりがない。
今日も「働きたくない」という言葉が頭に浮かんだ。
毎日が特別苦しいわけではないだろう。ないはずだ。ただ、それでも思い浮かぶのはどうしてなんだろう。ちょっと自分に対しての分析がてら、考えることをつらつら並べてみたいと思う。
そもそも働くとは何なのか?
「働く」そもそもこれがどういう意味なのかいまいち自分は理解していない。とりあえず辞書を引いたら「仕事をすること」と出てきた。なるほど、そりゃそうだ。もう少し詳しく言うと「特に職業として、生計を維持するために一定の職につくこと」らしい。
チェーンの飲食店でワンオペを回すバイトも「仕事」。
誰もが耳にすることになるヒットソングの作曲も「仕事」。
バラエティで目にする愉快な掛けあいも「仕事」。
風俗店に身体をささげることも「仕事」。
世界にある仕事の種類はとてつもなく多いが、どれも対価としてお金を受け取っている。
私たちが「働きたくない」と思う時、この世界にあるすべての仕事をしたくないと考えているわけではない。少なくとも私はそうだ。
それなら、私が「働きたくない」と思う時、私は何が嫌で働きたくないのだろう。
人が働く理由
仕事に何を求めるか。それは人によって異なることだし、それこそが働きたくない理由の根本にあるものだと思う。
「お金が必要だから働く」
これは多いだろう。そもそも「働く」の定義からして生計を維持するためにすることだし。とはいえ、お金が必要といってもその要求する程度は人によって違う。
例えばバイト。何か欲しい物があってそれを得るためにお金が必要だからバイトする人。明確に欲しい物があるわけではないがお金を増やしたいからバイトする人。生活していくにも困るほどお金がないからバイトする人。
理由が同じお金であっても、それが強い人と弱い人がいる。
次に「やりがいを求めて働く」
実際にやりがいを感じるような仕事ができているかは別として、それに対する憧れは多くの人が少しは持っている気がする。
難しい仕事をこなして達成感を得たり、前はできなかったことができるようになって自分の成長を感じたり、誰かに褒められたり必要とされていると感じることが快感であったり。やりがいのある仕事、それができるに越したことはないよなと思う。
他には「恐怖から逃れるために働く」
働いていないことに対する恐怖、みんなとは違うことをする恐怖、生活できなくなるのではないかという恐怖。
働くのが嫌だと思っても私たちが働くのはこれが大きいのかもしれない。働くことに安心を求める気持ちはみんな多少はあるのではないだろうか。
働いているから大丈夫。実際に言葉にしたり、考えることはなくても、頭のどこかでそう意識している自分がいる。
このように、働く理由は人それぞれで、様々なものが組み合わさっている。今パッと思いついたのが上記の三つなのでそれ以外にももっとたくさんあるだろう。
本当にしたくないこと
将来のことを考えるだけで憂鬱になる人はたぶんたくさんいて、こんな毎日が続くのは嫌だと現在進行形でため息をついている人も決して少なくないだろう。
そんな私たちの救いになるものは、やっぱり一人一人違っていて、しかも厄介なことにそれが救いであるかどうかなんてのは本人にしか、いや本人にすらわからないかもしれない。
だからこそ、私は自分がどうして辛いのか、どうして苦痛に感じるのか、どうして楽しく過ごせないのか、考える必要がある。
それがわかって初めて自分がどうすればいいのかわかる気がするのだ。
私が「働きたくない」と感じるのはおそらく、私が「働く」ということを「何か代償を支払ってその代わりにお金を得ること」だと思ってしまっているからだ。
時間、体力、気力といったものを引き換えにしてお金を手に入れる。私の中で仕事とはイコール楽しくないものであり、だからこそできるだけしたくないと考えてしまう。それを打破するにはやはり、世界には色んな仕事があるということを意識するしかないだろう。自分には予想もできない仕事がいくつもあるし、何なら新しい仕事をつくってしまってもいい。
一時期、有名になった「好きなことで生きていく」というキャッチコピー。この通りにできたらどれだけいいだろう。だが、現実問題好きなことだけで生きていくのは難しい。好きな仕事であっても、それが好きなことのみで構成されていることはそうそうあるとは思えない。
賢い人、凄い人、強い人たちなら好きなことだけで生きていけるのかもしれない。でも、大抵の人はそうじゃない。特効薬が存在しない私たちに必要なのは痛み止めや、治るかもしれないという思い込みであり、私にとって考えることはまさに薬みたいなものなのだ。